空海の生涯
弘法大師空海の生涯
空海が生まれたのは774年。日本に仏教が伝来して約250年経過した頃。
当時の仏教には、寺院や僧、経典など形式的なものはあったものの
学問としての仏教ではなかった。
京の大学に入学したが、大学で最も求められたものは記憶力であった。
目の前の現象ばかり説いた書物を
暗記することに意味を見出せなかった空海は、
大学を退学し、仏道を志して各地で修行する。
その後の10年間は四国の各地で山林修験者となっていた。
24歳で儒教・道教・仏教を比較した
『三教指帰』を著した。(出家宣言の書ともいわれる)
空海は修行を重ね、数々の経典を読み漁ったが、
自身が求める仏道の答えを見つけることができなかった。
そんななか、夢のお告げにより訪れた久米寺で
中国密教の経典『大日経』に出会い、
密教に傾倒し、804年に遣唐使として中国に渡った。
密教第7祖とされる恵果から
わずか3ヶ月で密教の正当後継者として認定された。
わずか2年で帰国し密教伝授の意義を最澄に認められ、
真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を開き
京都の東寺を天皇から賜った。
835年 60歳で高野山金剛峯寺で永遠の禅定に入る。
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南無大師遍照金剛
沙門 悠心
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