トースターのない暮らし
トースターのない生活
仕事用の住まいには、トースターがありません。
キッチンにはトースターがあって当たり前――そう思って数十年が経ちました。
けれど、実際になければないで、なんとかなるものですね。
今では、朝のパンはオーブンレンジで焼いています。
時間こそ少しかかりますが、表面がこんがりと焼けて、香ばしさも十分。
機械の前で少しだけ待つその時間が、朝の小さな“瞑想”のように感じられるのです。
🔍 なくても、困らない
仏教には「無常(むじょう)」という教えがあります。
すべてのものは移り変わり、永遠に同じ状態にとどまるものはありません。
「ある」ことに執着せず、「ない」ことを嘆きすぎない――そんな心のあり方が大切です。
「トースターがないから不便」と思うよりも、
「オーブンレンジで十分」と気づいた時、心がふっと軽くなりました。
それは、仏教で説かれる「知足(ちそく)」――足るを知るという在り方に通じるのかもしれません。
☕ 朝の祈りのように
オーブンレンジの中でパンがじわじわと焼けるあの時間。
「こんがり焼けた香り」「少し膨らんだパンの表情」を見つめるだけで、
朝に静けさと整いが訪れます。
仏前で手を合わせる時のように、
丁寧に過ごす一瞬一瞬が、自分を整える時間になるのだと感じます。
🍞 本当は必要なかったもの
振り返ってみれば、トースターは「なくてはならない」と思い込んでいた道具でした。
でも実際には、オーブンレンジで十分に役割を果たしてくれています。
気づけば私は、「必要かどうか」すら立ち止まって考えず、
CMや大多数の価値観にただ流されていただけだったのです。
「考察する」という行為そのものを、どこか置き忘れていたのかもしれません。
仏教は私たちに、「自らの心を見つめ直す」ことの大切さを教えてくれます。
トースターがなくなったことで生まれたこの小さな気づきは、
きっと日常のあらゆる場面にも通じているのではないでしょうか。