ブログ:和顔愛語

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幸福を願うなら1

 

先祖供養は、感謝を伝える智慧

お墓参りやお仏壇に手を合わせる――
その何気ない行いのなかには、とても深い意味が込められています。

それは単に亡くなった方への儀礼ではなく、
私たち自身が「感謝の心」を確かめる時間でもあります。

私たち一人ひとりの命は、偶然にここにあるわけではありません。
両親がいて、祖父母がいて、そのまた先に無数のご先祖様がいて――
代々つながれてきた命のリレーの上に、いまの自分が存在しているのです。

先祖供養とは、そのつながりを忘れず、
「ありがとうございます」と手を合わせる行為。
そしてそれを、子や孫にも自然と伝えていくことでもあります。

小さな子どもが、大人の背中を見て育つように。
仏壇に手を合わせる親の姿を見た子どもは、
「感謝する心」を自然と学んでいきます。

感謝の心とは、自分が一人で生きているのではないことに気づく心でもあります。
その気づきが深まると、やがて「縁(えん)」や「無常(むじょう)」といった仏教の教えと響き合い、
他者を思いやり、自他の関係を正しく見る“智慧”へと育っていくのです。
そうした意味で、感謝の心は仏教で説かれる「智慧(ちえ)」の入り口ともいえる、大切な心がけなのです。

そしてもうひとつ、感謝の心を持った人は、人間関係のトラブルが少ないと言われます。
常に他者への敬意を忘れず、柔らかい気持ちで接することができるからです。
トラブルが少なければ、心は乱れにくくなり、日々を平穏に過ごせます。

その平穏な心が、家族や他者との関係にも良い影響を与え、
思いやりのあるふるまいや、やさしい言葉として表れていく――
そうした小さな連鎖が積み重なることで、やがて“幸福の循環”が生まれていきます。

この幸福の連鎖が続いていくことこそが、
仏教で説く「家門繁栄」のひとつの姿ではないでしょうか。
それは決して財産や地位を意味するものではなく、
思いやりと感謝の心が代々伝わり、信頼と敬意に満ちた関係が続いていくこと――
それこそが本当の意味での“繁栄”だと、私は思うのです。

仏壇の前に座り、静かに手を合わせること。あるいは、法要のひととき。

それは、先祖とつながり、感謝とともに未来へと心を手渡す、大切な時間です。

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真言宗 八幡山 心和寺 老松別院
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