「無宗教です」っていいことなん?
無宗教の弊害 〜先祖を敬うということ〜
7月に入り、街は少しずつお盆の準備に向かいはじめました。
「お墓参りはいつにする?」「帰省時にお仏壇へ供える供物はなににしようかしら?」
そんな声があちこちで聞こえてきます。
仏壇屋さんにはお盆用品ののぼりが立ち、
スーパーの一角には菓子折やそうめん、ほおずきなどが並び始めました。
お盆という季節は、日本人の暮らしと心の中に、自然と根付いてきた行事でもあります。
🪷 祖先を敬うこころ
仏教では「報恩感謝(ほうおんかんしゃ)」の心を大切にします。
今の自分がここにあるのは、無数の命のつながり――すなわち、先祖のおかげです。
だからこそ、そのご縁に手を合わせ、感謝を捧げるという行為は、
心の教育のはじまりとも言えるのです。
先祖崇拝は、難しい教義ではありません。
「ありがとう」「見守っていてね」といった、ごく自然な気持ちの表れです。
🌱 無宗教という風潮の中で
現代では、「無宗教です」とおっしゃる方も少なくありません。
けれども、信じるものが何もないという状態は、実はとても心細いものです。
人は、思い悩んだとき、悲しみに直面したとき、心の拠り所を必要とします。
仏教で説かれる「帰依(きえ)」とは、心を預けること。
お寺でなくてもよい、神でも仏でもよい――。
もっとも身近な“帰依の場”が、実は祖先への祈りであるとも言えるでしょう。
👨👩👧👦 祈りを次の世代へ
子どもたちが、お仏壇の前で手を合わせる姿。
それは、ご先祖さまを思いやると同時に、自分が誰かに見守られているという安心感を得る機会でもあります。
宗教とは、形式や難しい言葉ではなく、
人としてのあり方を育てるものでもあるのです。
🕯 お盆を「こころの行事」に
お盆の季節には、ぜひ仏壇の前で手を合わせてみてください。
「帰ってきてくれてありがとう」
「どうか家族を見守っていてください」
そうした祈りが、世代を超えて心のつながりを育みます。
無宗教という言葉にとらわれず、“感謝をかたちにする”ということを、
ご家庭でもあらためて見つめ直すきっかけになりますように。