ゴミ出しはどなたがされていますか?
目次
ゴミを出すという慈悲 〜誰かの負担を想う心〜
倉敷市の生ごみ収集日は、週に2回あります。
この暑い時期は特に、生ごみの匂いが気になる季節ですね。
また、コバエやゴキブリなどの害虫も気になります。
そこで私は、野菜くずや生ごみは小さな袋にまとめて冷凍するようにしています。
ゴミの日の朝にそのまま出せば、匂いもなく、清潔。何より気持ちがいいのです。
🧹 ゴミを出すという“作務”
仏教の修行道場では、掃除や整頓のことを「作務(さむ)」と呼びます。
これは単なる労働ではなく、心を磨く修行のひとつとされています。
家の中や庭先の掃除も、そしてゴミを丁寧にまとめ、決められた日に出すという行いも、
すべては「整える心」の表れなのです。
仏道とは、自分の心と空間を清めることから始まります。
🧺 誰かの手に渡る前のひと工夫
ゴミは出したあと、誰かが集め、分別し、処理してくださっているものです。
「見えない誰か」が、私たちの代わりに手をかけてくださっているということを、私たちはつい忘れがちです。
袋が破れていたり、水が滴っていたりすると、それは見えない誰かへの負担となってしまいます。
そんなとき、ほんのひと手間――袋を二重にする、匂いを抑える、液体をしぼっておく――が、
思いやりの実践=小さな布施になるのではないでしょうか。
🌱 ゴミ出しにも「利他のこころ」
仏教には「利他(りた)」という教えがあります。
自分のためだけでなく、他者のために行動する心のことです。
ゴミを出すときにも、
「次にそこを通る人が嫌な気持ちをしないように」、
「集める人が困らないように」と、ほんの少しだけ想像力をはたらかせてみる。
それだけで、日常の中にも仏道が宿ってくるのです。
🌿 まとめ 〜清らかに手放す〜
ゴミを捨てるという行為には、「手放す」という意味もあります。
いらないもの、古びたもの、よごれたものを丁寧に清めて手放す。
それは、自分自身の中にある執着や、澱(おり)を洗い流すことにもつながるのです。
今日も、ゴミ出しの中に、静かな祈りとやさしさをこめて。
誰かの負担を減らす、ささやかな慈悲の実践を大切にしてまいりましょう。