草履を脱いだままの状態でお堂に上がった坊さん
靴をそろえる 〜出入り口は心の入り口〜
僧侶は、外から仏前に入堂するときには、決して仏さまに後ろ姿を見せません。
仏さまにお尻を向けないよう、履物の先を前に向けたまま静かにお堂へと上がっていきます。
お堂に向かうその一歩から、すでに祈りは始まっているのです。
一方、棚経などでご信徒のお宅へ伺う際には、そのご家庭の慣習や日常的なマナーに合わせて
履物をそろえて上がります。このときは儀礼的な意味合いというよりも、
訪問者としての礼儀を大切にするという姿勢を大事にしています。
仏堂に向かう所作と、日常におけるマナーとでは意味合いが異なるということを、
私たち僧侶も丁寧に使い分けているのです。
🚪 玄関は、日常と非日常の境界線
玄関とは、外と内とをつなぐ場所。
つまり、日常と聖域を分ける心の結界のような場所でもあります。
家を出るとき、帰ってくるとき。
その度に靴を脱ぎ履きしながら、私たちは心のスイッチを切り替えているのです。
靴をそろえることは、「今この場所を大切に使いました」という小さなお礼の気持ち。
👣 足元を整えると、心も整う
靴が散らかっている玄関と、そろっている玄関では、空気がまったく違って感じられます。
靴を脱いだその場でくるっと向きを変え、そっとそろえる。
たったそれだけの動作に、心を整える力が宿っているのです。
仏教では、「足下(そっか)を照らす」という言葉があります。
遠くばかりを見るのではなく、自分の足元――つまり、今ここに立つ場所を大事にするという教えです。
🧘♀️ 靴をそろえるという祈り
玄関に靴をそろえるのは、形式だけのマナーではありません。
それは、共に暮らす人への配慮であり、見えない誰かへの優しさでもあります。
誰かの靴がそろっていなければ、そっと直してあげる。
家に入るその一歩から、仏道はすでに始まっているのだと私は思うのです。
🌿 まとめ 〜一歩を丁寧に〜
お寺でも、ご家庭でも。
「場を整える」ということは、「心を整える」ということにほかなりません。
今日も、玄関で靴をそろえて出かけましょう。
そして、帰ってきたらまたそっとそろえ直してみましょう。
その一歩一歩に、やさしい祈りと、心の静けさが宿りますように。