夏の入浴は好きですか?
お風呂に入るという祈り 〜身を清め、心も洗う〜
熱くなると湯船に浸かることが少なくなりますが、私は湯船に浸かることが好きです。
自宅ではぬるめのお湯につかって、読書をしたり、動画を見たり、瞑想したりと、
その日の気分でゆったりと過ごす時間を楽しんでいます。
身体が温まり、心もほどけていくようなあの静かな時間。
それは、まるで一日の疲れを洗い流し、自分に立ち返る小さな祈りのようです。
🛁 入浴という所作の美しさ
昔は湯船に入る前に「掛け湯をしてから入る」というのが当たり前でしたが、
今では身体を洗ってから湯船に浸かるというのが一般的なマナーになっています。
「親しき中にも礼儀あり」とはよく言ったもので、
たとえ家族であっても、湯の中に髪の毛や体毛が浮いていると、やはり不快なものです。
入浴が終わったら、浴槽や床に目をやって、次に入る人が気持ちよく使えるようにする。
そんな心づかいもまた、日々の暮らしの中でできる「やさしさの実践」かもしれません。
仏教において「身を清める」ことは、「心を整える」ことと通じます。
お湯に浸かる静かな時間は、自分を見つめ直す大切なひととき。
🫧 お風呂に宿る仏道のこころ
仏教では、修行の前に身を清める「沐浴(もくよく)」という習慣があります。
これは単なる清潔のためではなく、身体と心を整え、仏さまの前に向かう心構えをつくるためのものです。
私たちが日々入るお風呂もまた、日常に溶け込んだ修行の一場面。
湯に感謝し、使う場を整えることは、自分と他者を大切にする仏道の実践といえるでしょう。
🪷 小さな習慣に、やさしい心を
お風呂に入るという、毎日の当たり前のことのなかにも、
気づきや思いやりの心を込めることができます。
湯を使わせてもらうこと。
一緒に暮らす人が気持ちよく使えるようにすること。
自分の身体と心を整えること。
それら一つひとつが、静かに仏さまとつながる、日常の祈りとなるのです。