焼き鳥を串から外すか、否か
忘年会シーズンですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
大切な方たちと心和むひと時を過ごされてると幸いです。
さて今回は「焼き鳥を串から外すか、否か。」
たびたび議論になる飲み会の作法について綴りたいと思います。
「みんなに行き渡るよう、外して取り分けたい」という気遣いによるものから、
「串にかぶりついて食べるのは下品」という価値観まで、
さまざまな意見が交わされるテーマです。
この議論には正解があるのでしょうか?
今日は、この焼き鳥論争について、仏教の教えを交えながら考えてみたいと思います。
まず、串から外す行為には、周囲の人々への配慮や気遣いが込められていることが多いようです。
「一緒に食事を楽しみたい」「みんなが公平に食べられるようにしたい」という優しさは、
仏教で大切にされる「利他」の心そのものです。
利他とは、自分のことだけでなく、他者の幸福を願い、そのために行動することを指します。
焼き鳥を串から外すという行為も、こうした利他的な心から生まれているのかもしれません。
一方で、「串にかぶりついて食べるのが好き」「そのまま食べたほうが美味しい」といった意見もあります。
ここには、焼き鳥そのものを楽しみたいという純粋な気持ちが見られます。
仏教では、「自分自身を大切にすること」も重要だと説かれています。
他者を気遣うだけでなく、自分の楽しみや満足を見つけることも、心の安定や幸福につながるのです。
また、議論の中には「串にかぶりついて食べるのは下品だ」という価値観も見られます。
このような場面では、仏教の「中道(ちゅうどう)」という教えを思い出してみてはいかがでしょうか。
中道とは、極端に偏らず、調和の取れた道を歩むことを意味します。
たとえば、串から外すことも、外さないことも、
場の状況や相手の気持ちに応じて柔軟に選ぶことができれば、それが中道の実践と言えるでしょう。
さらに、この焼き鳥論争は「食事を共にする」という行為そのものの大切さを思い出させてくれます。
食事は単なる栄養補給ではなく、心と心を通わせる大切な時間です。
焼き鳥が串に刺さったままであれ、外されて取り分けられたものであれ、
その食事を用意してくれた人や、それを共にする人への感謝の気持ちを忘れないことが
一番大切なのではないでしょうか。
最後に、この焼き鳥論争には、正解も不正解もありません。
それぞれの意見や価値観を尊重し合い、場の雰囲気や相手の気持ちに寄り添うことが何よりも重要です。
おいしい焼き鳥を囲みながら、笑顔で楽しい時間を過ごせることこそが、本当に大切なことなのです。
どうぞ皆さま、これからも焼き鳥を囲む楽しいひとときを大切にしてください。
合掌
心和寺
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